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Daily Archive10年11月2日



正一と岡山市政、地域活動 &正一の活動日記 河田正一 on 10年11月2日

釧路市訪問団歓迎

11月1日は、釧路市からの友好親善訪問団の歓迎レセプションがホテルグランヴィアでありました。岡山市と釧路市はタンチョウが取り持つ縁で昭和55年から友好都市縁組をして、1年おきに相互訪問を実施しています。釧路からは蝦名市長など25人が訪れました。岡山市からは高谷市長、佐古副市長、経済局長、おかやま観光コンベンション協会岡崎彬会長などが参加しました。

議会からは経済委員長として私一人が出席し、乾杯の音頭をとりました。和やかな歓迎会で、私も今年の夏、釧路市を訪問していたので話が弾みました。地産地消の料理と地酒「極聖」、「ぴおーね酎」それに地ビール(岡山産の麒麟ビール)です。私もホストの一員になって訪問団お人全員と会話をし、歓迎レセプションのお役に立てたかなと思います。

釧路湿原は時間がなかったので今年は行けませんでしたので、近いうちに訪れたいです。釧路の花火大会は岡山とは桁違いだと、岡崎彬さんが紹介されていました。

釧路市職員は今まで釧路は資源(自然・炭鉱・魚など)を売りに観光を進めてきた。岡山に来て改めて歴史を感じ、おもてなしの心を感じる。これからは釧路でも歴史や人のぬくもりを伝えるような観光をしたいとの感想を述べていました。

来年の再会を約束し、お開きになりました。

お知らせ ご案内 河田正一 on 10年11月2日

携帯交換

携帯電話がなくなるととても不便です。何しろまったく連絡がつかなくなります。妻と連絡を取ろうにもそれも出来ません。

朝、市役所近くの交番に遺出物届けをしました。巡査は後で、電話で届けは出来ますよと教えてくれました。先日、auショップでそのように教えてくれていたらそのままauを買い換えていたのですが、応対が悪かったのでソフトバンクに変えることにし、ショップを探、電話帳で幸町の店が近いと分かったので、社会実験をしている無料の自転車を鹿田町駐車場で借りて出かけました。若い女性が応対してくれたのですが、それからが大変でした。auの電話機受付番号を探さないと同じ番号には出来ないと言われ、auサービスセンターに電話したが暗証番号が分からなくて、再度オペレーターにつないでもらいました。それから本人確認が、免許証を見ながらソフトバンク社員とau社員とで長々と続きやっと受付番号を聞き出すことが出来たのは1時間近くたってからでした。それから、ソフトバンクの説明や登録に30分かかり、新しく電話機を手に入れましたが、データを入れ込むためにと持参した2代前の電話器の電池がなく、店にはauの電源がないというので充電してこなければデータを移すことが出来ないと言われとりあえず店に電話を置いたまま帰りました。auの充電器を持った人を探し充電して、再び店に行ったのは午後3時でした。古い機種には500件のデータが入っていましたが、最近入れたデーターはどうすることも出来ません。これからしばらくは大勢の方にご迷惑をかけますがご容赦ください。まだ、使い方について本を読んでいませんし、メルアドも取得できていません。

正一のブレークタイム 河田正一 on 10年11月2日

近江の旅④長浜

31日(日曜日)の午後は、長浜の中心街「黒壁」に行きました。何度か来ているのでおおよそのことは知っています。この日は、来年のNHKの大河ドラマ「お江」にちなんだキャンペーンがあちらこちらで行われていました。

お江コンテストの一幕

孫への土産に、ブタと犬の紙風船を買い、自分用には少し上等な箸を買いました。

来年の東近江は歴女でさぞかし賑わうだろうと思いながら、家路に着きました。

正一のブレークタイム 河田正一 on 10年11月2日

近江の旅③竹生島

日曜日朝、菅浦から舟をチャーターして竹生島に行きました。この島には、お寺と神社それに数件の土産物屋しかありません。私は集落があって人が大勢済んでいると思っていたのが、思い違いでした。

お寺には三重塔があり、火事で消失したのを寄進を募り、20年前に再建しました。そしてそれ以来はじめて、20周年記念として秘仏の観音様が開帳をされていました。朝が早く他の観光客が来る定期船の前だったので、案内人の説明を聞いて見ることが出来ました。

三重塔ご開帳

竹生島は琵琶湖が陥没して出来たときに、一部が隆起して出来た島で急な断崖が多い島です。琵琶湖の中でもっとも深いところがこのすぐ傍にあり水深は104mだそうです。そしてその深さはずっと変わっていないそうで、不思議な現象の一つです。

いま、この島は大変な危機に見舞われています。それは川鵜の被害です。7万羽もの川鵜がねぐらにしているので、木々が枯れて根ごと崩落することが多くあります。そのため、この対策に頭を痛めていることが地元新聞にも載っていました。人や外敵が住んでいなくて、周りには餌が豊富なこの島は川鵜にとっては格好の場所ということでしょう。

正一のブレークタイム 河田正一 on 10年11月2日

近江の旅②マロニエ並木

琵琶湖一周のドライブでマキノ町のマロニエ並木を見に行きました。昭和54年に町おこしでマロニエを植えてから30年で観光地になりました。」「冬のソナタ」のロケーションに似ているそうでかなりの人が訪れるそうです。傍には、町営だろうと思われる店や資料館・観光果樹園がありました。

その後、宿泊場所の長浜市西浅井町菅浦にある国民宿舎「つづらお荘」に行きました。菅浦はかつては陸の孤島といわれ、舟でなければ集落にいけないといわれていました。今でも集落の両端には見張りがいたであろう関所のようなものが残っています。

またこの地には、織田信長に滅ぼされた浅井家の息子(淀君、お江など3姉妹の弟)がかくまわれたとの言い伝えがあります。

宿は国民宿舎ですが、ゆったりとしていて新しくいい宿でした。さすがに、近江八幡の友人が自転車で9時間かけて下見をして見つけた宿でした。

正一のブレークタイム 河田正一 on 10年11月2日

近江の旅① 観音正寺

10月29日午後から、妻と滋賀に出かけました。毎年妻の大学時代の知人家族の同窓会が、今年は滋賀で行われるからです。今から30年ほど前に当初は、3家族で始まった集まりが、今年は11家族16人のにぎやかな同窓会になりました。今年の幹事は近江八幡市に住む2家族です。妻の同級生と夫、後輩の同窓夫婦が入念な下調べをして、設定をしてくれました。金曜の夜は2家族が友人の家に止めてもらいました。翌土曜日は大型台風が来ると心配で、何度も天気予報を確認しましたが、雨もほとんど降らないで予定のとおり、観光に出ました。みんなが集まるまでに、観音正寺にお参りに行きました。

観音正寺の地蔵堂

この寺がある山は、室町・戦国時代はバサラの佐々木氏の居城があったところです。途中に、駐車場を料金所がありこれより上は500円が必要というので、朝の腹ごなしに歩くことにしました。車で3分との表示でした。ところがかなりきつい勾配で上の駐車場まで30分かかりました。さらにそこが参道の入り口で800mを歩いてお寺に到達しました。西国33ヶ所のひとつで、近江の平野を見下ろすことが出来る良い景色です。曇りのため遠くの山々ははっきり見えませんでしたが。妻は何を思ったか、朱印帳を買って書いてもらいました。国道から上がってきたという夫婦に話を聞きましたが、とてもきつい階段で雨で滑ったのでとても大変だったそうで、林道を歩いてきたわれわれの選択はそれより良かったなと納得したしだいです。

みんなが集まったので早く帰るように電話があり、近江八幡名物「たねや」でみんなが揃いました。最中とバームクーヘンを買い込みました。



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