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Monthly Archive12年05月



お知らせ ご案内 &正一と岡山市政、地域活動 &正一と日本共産党 河田正一 on 12年05月29日

政務調査費裁判勝訴

今日、平成19年度の政務調査費の使途について岡山市民オンブズマンから訴えられていた裁判で日本共産党市議団は勝訴しました。わが党以外の各会派は一部返還を求める判決でした。わが党だけが返還金0でした。完全勝訴は私たちの自己チェックが大変厳しくしている証明です。他会派は政務調査費を使っていても、私たちは政務調査以外が含まれる場合は使わないことを貫きました。日本共産党は政党助成金ももらわずお金がなくて苦しくとも筋を通す政党です。オンブズマンが他会派と同じに私たちを訴えること自体が間違いだと思っています。裁判の結果は、日本共産党岡山市議団のブログで見てください。

お知らせ ご案内 &正一のブレークタイム 河田正一 on 12年05月21日

火事の余話

「火事だ」とあわてて食事の途中、夫婦とも家を飛び出たので、食卓の上には食べさしのスイカが2切れあった。妻が家に帰ると犬が食べているところだったそうです。取り上げようとすると次々に電話が入り結局2切れとも食べられました。室内でトイレをしないので、問題は翌朝早くから外に出たいと騒ぐ犬に4時過ぎ起こされ、散歩に行かされてしまいました。おかげで火事の被災写真を撮り、日食を見る十分な時間もあります。(ただし、雲が切れて太陽が顔を出してくれればの話ですが)

正一と岡山市政、地域活動 &正一の活動日記 河田正一 on 12年05月21日

火事だ!


5月20日(日)午後8時過ぎ、夕食を食べていると消防車のサイレンの音。近づいててくるなと思っていたら我が家のすぐ前で突然サイレン停止。
あわてて外に飛び出し周りを見回すと4軒隣から火の手が上がっているのが見えた。家に引き返し、作業着を着て軍手をはめ、長靴を履いて駆けつけた。母屋に火が回りかけていたのにまだ放水はされていない、家はもうだめだと思った。この家には高齢の女性が一人で暮らしているので、彼女がどうなったか集まってきた人に聞いたが誰も知らない。田圃を隔てた裏の家に行って聞くのが一番と思い尋ねた。ここには地元の人が大勢集まっていた。私の顔を見るなり、消防がもっと早く水を出せと食って掛かる人もいる。裏の家の人に話を聞くと「15分前に火事に気が付き、主人が駆けつけ火災のあった家の人は連れ出した。それから消防署には私が連絡した。」「子供さんの連絡先は主人は知っているが、主人は救急車に同乗していっているので詳しいことはわからない。」この家のおばあちゃんの話、「●●さんは、顔や腕にやけどを負っていた。」御津署の隊員にけが人の搬送先を聞いても「わからない、個人情報なので」との返事、ようやく「指揮隊のところで聞いてくれ」との言葉で、指揮隊の人に家族がもうすぐ到着するからと言って町内会長と一緒に搬送先を聞きだした。その後民生委員が来ていろいろ情報を聞き出してくれた、さすが元消防団長です。

消防車は御津、建部、津高、吉備津、西署などから集まりましたが、救急車は御津署からは来ませんでした。建部の車で搬送したそうです。前から、議会で質問していた、家屋火災が夜間や休日に起こると御津からは消防車と救急車は同時に出動できないので安全が保障できないといっていたことが現実に起こってしまいました。早く夜間の4人体制を改める必要があります。

正一と岡山市政、地域活動 &正一の活動日記 &産廃処分場 河田正一 on 12年05月16日

産廃デモ

5月15日、岡山駅前の高島屋前で街頭宣伝。小雨が降る中、220人が参加し、道行く人にチラシを配り、リレートークで「産廃反対」「岡山市の水を守れ」と訴えました。
チラシを配る
歩道で整列、さあ出発
初めての参加者も元気にシュプレヒコール
日本共産党岡山市議団も全員が参加
市役所隣の公園で集会
集会で新しい動向を訴える

お知らせ ご案内 &正一のブレークタイム 河田正一 on 12年05月9日

ベトナム・ラオス紀行(4)

5月5日 ベトナム北部の観光地ハロン湾クルーズに行きました。ハノイからバスで3時間半、トイレ休憩買い物時間を含め片道4時間かかります。汽車は日1便で6時間かかるそうです。買い物をするところでは障害者がたくさん刺繍をしています。この人たちは枯葉剤の影響で障害を持った人たちです。国が作業所として補助金を出しています。
クルーズ船乗り場のバイチャイにつきました。
港には百隻を超す観光船がひしめいています。船は白い色で統一されて、中は6人掛けのテーブルが8卓あります。乗船と同時に食事会になります。海老が出てくるとウエートレスが剥いてくれます。

食べ終わったころ有名な島々の近くを通ります。
その後が大変です。水上生活者の一家の小舟が接舷し、果物を売るのでパパイヤをお母さんから買いました。買った果物などは船の調理室で料理してくれます。

食べ終わった頃、今度は同じ舟が反対側に接舷し5歳くらいの男の子が売りに来るのです。さっき買って食べたといくら言っても通じません。仕方なくまた買ってしまいました。水上生活者の村に上陸?いけすにはいろいろな魚介類がいます。買うと船で料理してくれます。日本では天然記念物となっているカブトガニも7000円で売られていました。

食べませんでしたが記念写真を撮りました。
船に乗り込むと今度はウエートレスたちが売り子に変身です。入れ代わり立ち代わり真珠や宝飾類、布きれ、テーブルクロス、袋などを売りつけます。
鍾乳洞を探検して元の港に帰ります。この間約3時間ですが最も短いコースで、長いものは3日掛けて回るそうです。また4時間かけてハノイに戻り、夕食です。フランス占領時代に建てられたオペラハウスの一角にある「1911」というレストランでフランス料理を食べました。値段は高いが味はさほどでもありませんでした。特にメインディシュの牛肉は固くて残す人が多くいました。

お知らせ ご案内 &正一のブレークタイム 河田正一 on 12年05月8日

ベトナム・ラオス紀行(3)

5月4日(金) 托鉢する修行僧を見学する。300人の僧が毎日托鉢に出る。町の人たちはもち米を毎日食べる量の倍炊いて僧に少しずつ与える。僧は1日2食に足りるだけもらうとそれ以上は受け取ろうとしない。子供が多い家では食減らしと教育のため子供を寺に修行に出す。地域みんなで子供を養い、教育するシステムがこの地ではできている。

メコン川クルーズ 長さが15mくらいある舟、1列に椅子が2個ずつ置いてある。真中が通路。漁師の小舟があちこちに見える。投網をしているが魚がかかった様子はない。

川岸には水牛が水浴び

バーンサーンハイ村舟着き場から陸地まで30m 竹や板、廃物利用の狭い桟橋

ラオスの焼酎ラオ・ラーオを作っている村。ドラム缶を使った蒸留設備。発酵は甕の中で。アルコール度50%。


機織りする人たちがたくさんいる。この村で絹と木綿のストールを購入。
この村はラオスでは裕福な村。お寺が立派でした。
4000体もの仏像を安置した洞窟。精霊崇拝も混在する。
あちこちの山は焼畑の形跡。バナナ畑が多いようです。米も作ると聞いて驚いた。川に近いところには若葉が鮮やかな背の高い木々が多くみられる。チークを植林している。チークは10年で直径50~60cmに達しそれくらいで伐採するようです。
ルアンパバーンの隣は紙漉き村 お土産に紙を購入
ルアンパバーン空港は売店も何にもありません。ガイドブックを読んで尋ねたところを思い出しました。
ところが、飛行機が故障したらしく、タイヤ交換をするなどしてかなり出発が遅れました。
夜はハノイでベトナム料理を食べました。

お知らせ ご案内 &正一のブレークタイム 河田正一 on 12年05月8日

ベトナム・ラオス紀行(2)

5月3日(木) ホテルの朝食はとても豪華。今まで食べた朝食の中で最も品数豊富でしかも美味しい。(ただし、コーヒーを除く)
空路ラオスに行くためノイバイ国際空港へ。2時間の暇をつぶすのに苦労。免税店をつぶさに見、美人の航空会社社員を見かけるも近くに行けず。手荷物検査をしているモニターをじっと見ていた。時々不審物があると荷物あらためをする。しばらく見ていると係員に追い払われた。仕方なく売店で缶ビールを買って飲む。昨夜の生ぬるいのと違って冷たくておいしい。
 ラオスは山また山の国。尾根伝いに曲がりくねった道が続いている。集落らしきものはほとんど見えない。

山肌がむき出しになったままの土地が散見される、焼畑のためか。

ルアンプラバン空港は小さな空港。飛行機から降りると歩いて入国手続をしに事務所へ。
昼食会場へ直行。ルアンパバーンは町全体が世界遺産に登録されているだけあって、落ち着いた感がする。ベトナムの喧騒の中から抜けてきたので一層その感が強い。


ラオスのトイレは紙を流してはいけません。そのためゴミ入れが置いてあります。

市内観光 ワット・シェントーン この地を代表する建物でラオスで最も美しい寺院と称されている。

最後の王が使った霊柩車も飾ってある。

ワット・マイ 護送の屋根が重なった美しい寺院。竜の掛樋から年に1度水が流され仏像を清める。黄金のレリーフはインドの叙事詩「ラーマーヤナ」をモチーフにした仏教の輪廻を表している。

ルアンプラバーン国立博物館 かつての王宮跡 王や妃の部屋は思った以上にシンプルで飾り気が少ない。(写真禁止)
プーシーの丘に登り街を一望。

ナイトバザールは毎日夕方からメイン通りを通行止めし、何百ものテントが店を出す。モン族の人たちがほとんどだそうです。

近くのレストランで食事。夕方からラオスは停電のため真っ暗。暗闇の中でろうそくを頼りに食事。目が慣れるとこれもなかなか趣がある。

ショーは自家発電機で照明。


ラオスの外貨獲得は電力を隣国に売って得ているので、自国の停電は理解しにくかった。インフラの未整備で、送電線が十分でないためだそうです。日本では原発停止で騒いでいるがこの国では停電も当たり前として暮らしている。
ホテルに帰って風呂から出ると再び停電。ろうそくも懐中電灯もなく、妻はまだ入浴していなかったので、いつ灯がつくのか不安だったが10分ほどで復帰した。これも旅の思い出です。

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