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Daily Archive15年05月9日



お知らせ ご案内 &正一と岡山市政、地域活動 &正一と日本共産党 河田正一 on 15年05月9日

共謀罪・通信傍受罪・特定秘密保護法

5月9日(土)、さん太ホールで岡山弁護士会憲法記念集会がありました。客席は超満員で開演が遅れるほどの盛況でした。私たちも資料がもらえませんでした。

基調講演は、ジャーナリストの江川紹子さんです。最近起こった高崎山の猿の命名事件「シャーロット」を引き合いにして、自分の正義感を押し付ける社会への批判をしました。

憲法観については、個人の基本的人権がないがしろにされ、公益性を個人の上に置く風潮が強まり、『自由』よりも『安全』を求める傾向があることが話されました。

『安全』のためと称して、監視社会、盗聴やテロ対策を進めることを認める傾向が強まっていることが指摘されました。

第2部は、パネルデスカッションでコーディネーターは弁護士の三浦巧さん、パネリストは海渡雄一、平岡秀夫、江川紹子の皆さんです。

秘密保護法はすでに施行されています。まだ表立っての動きはありませんが、元CIAのスノーディン事件での米・英の対応に見られる動きが日本でも起こりえます。

2020年東京オリンピックを成功させるためとの理由で、通信傍受が安全確保に必要との理由で拡大されるであろう。

共謀罪は、外務省が、2000年の国連の「組織犯罪防止条約」を批准するために必要と強く主張。現在185か国が参加し、批准していないのは日・韓・コンゴ・イランの4か国のみだから批准しろと強く要求しています。

批准は、『共謀罪』を制定しなくてもできるし、多くの国では『共謀罪』を定めていません。『共謀罪』は、元々、マフィアなどの経済犯罪を取り締まるための法律だったのが、テロ対策や『安全』のために必要という論調に変わった。

そして、長期刑4年以上の懲役となる犯罪に適用させるといわれており、窃盗事件でも適用が検討されています。団体・組織でなされた犯罪の謀議とされているため、何にでも適用される恐れがあります。2人以上集まれば組織と見なされるからです。

沖縄の辺野古基地反対闘争などは、まさしく共謀罪に該当することになります。共謀罪では証拠がなくて、罪をつくることが難しいので、今後、通信傍受法を共謀罪にも適用させて、会話や通信記録を証拠にするであろうことも考えられます。

既に、イタリアでは警察が個人のPCにウイルスを送り、カメラ機能やスカイプなどを傍受することを行っているそうです。

集団的自衛権行使の戦争立法を表で作り、国民を監視下に置くための、戦前の「治安維持法」と同じ役割を負わすのが、共謀罪・通信傍受法・特定秘密保護法です。さらに、マイナンバー制度によりすべての情報を権力や情報会社に握られてしまいます。

思想統制のために、教育が政府や首長により規制され、教科書や副読本への統制が強められています。マスメディアも自民党からの圧力やトップの安倍首相べったりの中で、委縮してしまっています。こんな国にさせてよいのかをみんなに問いかけたい気持ちでいっぱいです。

お知らせ ご案内 &正一のブレークタイム 河田正一 on 15年05月9日

京都大原の旅(2)

三千院を出て、声明の修験道場だったという「勝林院」、「宝泉院」を訪れました。

勝林院の見事な彫刻です。

宝泉院は庭がとてもきれいです。五葉の松はとても立派なものですし、竹の間からの景色も素晴らしいです。最も気に入ったのは、新しくできた「宝楽園」という庭です。

遅い昼食を三千院の前の茶店で摂り、相国寺に行くことにしました。

京都で2番目に広いという境内は、あまり飾りけのない静かな境内です。隣が同志社大学ですが、学生にとってはあまりにも静かすぎて集まっていないようでした。

庭が変わっていて、深く掘り下げた向こう側に木が植えてあり、遠近感を感じました。

宿は民宿のため、布団も自分で敷き、ヘルシーといえばよいのか粗食でしたが、風呂は面白い作りでした。宿泊客はほとんどが外国人でした。

妻は宿が気に入らなくて不評でしたが、私は大原の里でゆっくりと過ごし、リフレッシュできました。

お知らせ ご案内 &正一のブレークタイム 河田正一 on 15年05月9日

京都大原の旅(1)

5月6日(水)、7日(木)に妻と1泊2日の京都旅行に出かけました。娘からの宿泊プレゼントで私が「民宿大原の里」を選んで、高速バスを利用して出かけました。

まず、2日間のバス・地下鉄利用カードを買って、どこにでも行くことができるようにしました。錦市場から新京極、寺町を通って本能寺まで歩きました。

蹴上の京都上水道の「さつきまつり」に行きました。連休中がまつりということで、大勢の人が訪れていました。

大原までバスに揺られてのんびりと行きます。宿は寂光院の近くなので、徒歩で15分ほどかかります。緩やかな上り坂です。荷物があり、すでによく歩いたのであまり歩きたくない気分です。

寂光院はすでにしまっていたので見学は、翌日しました。

建礼門院の墓は隣にあります。そこには高倉天皇の中宮と刻まれていました。寂光院の人に、皇后と中宮はどちらが正しいのですかと尋ねましたが、はっきりとした返事はありませんでした。

三千院はとても広い境内です。抹茶をいただきました。菓子は虎屋の「おもかげ」ではないかと勝手に思いました。

子ども地蔵が何体か苔の中にありました。

ボタンがきれいに咲いていました。



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