Monthly Archive14年03月
お知らせ ご案内 &正一の活動日記 河田正一 on 14年03月15日
飯田康之講演
3月11日、ホテルグランヴィアの時事問題講演会がありました。講師は明治大学准教飯田泰之さんでした。「アベノミクスは消費税増税を乗り切れるか」が題でした。
中身の多くは経済学の講義のようでしたが、アベノミクスの「3本の矢」は「1本足打法」になりつつある。第1の矢、金融緩和はじゃぶじゃぶふり撒いて効果を上げている。第2の矢、財政政策は、最もまずい方向に進みつつある。増税は経済を停滞させ、公共支出は有効性が低い。第3の矢、成長戦略は2つの方向(解放規制緩和路線VS産業政策路線)間の調整がうまくいっていない。との評価でした。安倍政権のブレイン的な存在と思っていた人もアベノミクスに懐疑的になっていると思いました。第2の矢は私にも思い当たることがあります。福渡高校跡地を民間開発で老人福祉施設を建設しこの4月にオープンすることになっていたが、建設業界が公共事業や消費税駆け込み需要、イオンモール建設などでかなり遅れると報告がありました。公共投資1兆円は民間投資を0.7兆円減らしているので3割しか投資効果がないそうです。消費税の3%増税はGDPを1.0~1.5%引き下げる。それに比べ、1%の経済成長は1.5%の増収になる。消費税増税はばかげた政策であることが改めてわかりました。講演の後、講師と同じテーブルだったので他の経済界の人を含めいろいろ話をしました。
お知らせ ご案内 &正一と岡山市政、地域活動 &正一の活動日記 &産廃処分場 河田正一 on 14年03月15日
富吉産廃跡地についての学習会
3月14日(金)、富吉コミニテイで千葉工業大学の八尋信英さんを迎えて産廃処分場跡地について考える学習会がありました。
八尋先生は先日、御津河内に来てもっらっていたので面識があります。先生も私が下関で講演したことを知っていました。2回会ったばかりですが、とても旧知の仲に感じました。おそらく私の進む方向と同じ方向で活動している方だからでしょう。会場には40人が集まり、斎場問題での展望が見いだせない中で何とかしてほしいとの思いがみなさんから聞かれました。
八尋先生はズバッと発言するので、勇気をもらった人も多かったのではないでしょうか。私もいくつか今後の運動の示唆を与えられました。
お知らせ ご案内 &正一のブレークタイム 河田正一 on 14年03月10日
事故渋滞で法事に遅刻
3月9日(日)は大阪の叔母の一周忌法要でした。交通費を安く上げようと高速バスに乗りました。計画では、十分法事に間に合う予定でした。西宮名塩SAの手前でバスが渋滞で動かなくなりました。
1時間余りかかって、1km弱の距離を走りました。事故現場は、登坂車線が切れた直後の場所で、さらに1車線がふさがれたので、4車線が2車線になったことで大渋滞になりました。
逆向きの事故車
1時間余り遅れて法事の会場についたら、お坊さんがちょうど帰るところでした。
お知らせ ご案内 &正一のブレークタイム 河田正一 on 14年03月8日
妻の誕生会
今日昼、焼肉屋で妻と姪の合同誕生会をしました。本当ははもう少し先ですが、予定が込み合っているので早めにしました。
昼食の後、次女の家に集まり手づくりのケーキを食べました。ここで1歳になった孫が初めて歩きました。
お知らせ ご案内 &正一と岡山市政、地域活動 &正一の活動日記 河田正一 on 14年03月2日
勝尾総会
3月2日は御津勝尾町内会の総会でした。毎年ここの総会は、時間にゆとりがある時なのでゆっくり皆さんと話ができます。早めに言ったので、集落の様子が話の中から見えてきました。今年は2件が空き家となり町内会費を徴収できなくなったこと。老人クラブの会計をしている人も高齢化したので誰か代わってもらいたいといったが、なかなか後継者が見当たらないこと。参加者全員が老人クラブ会員資格を得ていること。まさに限界集落といわれるところです。そうした中で、老人クラブ補助金16,700円をもらうために面倒な報告書が必要なのかと問いかけられ、すぐには返事ができませんでした。その他、利水上は必要なくなったため池が決壊しそうで、豪雨のたびにすぐ下の家の人が避難しなければならなくなっていることへの対応、山の中を通る隣の集落との連絡道に速攻がないので、年々通行する幅が狭くなっているので側溝を整備すること。道路法面に大きな木が生え、隣接する田に葉や種子が落ちるため、種が落ちて木が生えていることなど、おおくの課題が寄せられました。
お知らせ ご案内 &正一と日本共産党 河田正一 on 14年03月2日
偲ぶ会
古参の党員が1月に亡くなりました。納骨のために帰京した遺族を迎えて、高松支部が故人の偲ぶ会を開催しました。私は、故人とは数回しか会いませんでした。しかし、支部員の皆さんが故人との思い出を語る中で、故人が長く深く日本共産党の活動にかかわり、地域の皆さんに日本共産党の顔として知られていたことがよくわかりました。遺族の長女の方も涙を浮かべてみんなの話を聞いていました。娘夫婦は東京に住んでいるので、都知事選の結果とその後の変化についても婿さんから話をしてもらい、宇都宮候補は敗れはしたが、素晴らしい候補者であったことを改めて感じました。そして、日本共産党がいなければ、安倍政権の暴走に歯止めをかけることはできないとの声が東京で広がっている事例も聞きました。命ある限り党の発展に尽くした同志が安らかに眠ることを祈ります。
お知らせ ご案内 &正一のブレークタイム &正一の活動日記 河田正一 on 14年03月2日
卒業生を送る大会
早いもので早3月になりました。3月1日、御津小学校でバレーボールの卒業生を送る大会がありました。6年生にとっては試合も残り少なくなりました。
昨日は開会式であいさつをした後、午前中試合を見たり、少し子供たちの相手をして練習に参加しました。
その様子を見た古くから私を見ていた人が足元がおぼつかなくなってきたなと私に言いました。まさにその通りで、ジャンプをするとバランスを崩しそうになります。
なかなか子供と接する機会がないので直接練習をすることも少なくなりましたが、卒業する子どもたちと少しでもふれあっておきたい気持ちで、おぼつかない足取りではあるが想い出づくりをしました。
その後すぐに、岡山県小学生バレーボール連盟の理事会に参加しました。会長が都合が悪かったので、副会長の私が代理を務めました。会議の進行でいくつか紛糾するテーマがありましたが、双方の意見を言わせて採決に持ち込んだので、理事長が後で「さすが名議長」と評価しました。私は「一部事務組合で議長しているのだから当然だろう」といいました。