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Category Archive正一と岡山市政、地域活動



お知らせ ご案内 &市政ニュース &正一と岡山市政、地域活動 &正一の活動日記 河田正一 : 14年05月22日

子どもの村福岡

5月19日、日本共産党岡山市議団として「子どもの村福岡」の視察をしました。親が養育できない子どもたちを養育するファミリーホームです。

大規模な施設用語から家族的な里親への移行がよいとされていますが、その中でも先進的な取り組みといわれているのがこの施設です。5棟のファミリーホームにそれぞれ「おばちゃん」がいて、2~5人の子どもを養育しています。

センター棟には集会所や事務所、訪ねてきた実母が泊まれる部屋などがあります。

日本と世界の子供たちに対する養育の必要な子供たちの現状や接し方などについて、また施設の建設から運営についての苦労など、小児科医の坂本副理事長が熱心に説明をしてくれました。

お知らせ ご案内 &正一と岡山市政、地域活動 &正一の活動日記 &産廃処分場 河田正一 : 14年05月11日

産廃決起集会

5月11に午後、御津金川のふれあいプラザで「御津虎倉産廃反対の決起集会が開かれました.

会場は予備の椅子までいっぱい
冒頭私が「この10年の運動を振り返って」と題して講演をしました。

10年前は、御津町が岡山市と合併するかどうか揺れていた時です。
当時の町長は合併すれば、岡山市の産廃条例は厳しいのできっと許可は下りないと地元住民に説明しました。しかし、市は許可を下してしまいました。私が議会で西日本アチュマト社の箕島処分場が容量超過していることを指摘し、市もそのことを渋々認めたにもかかわらず、許可を下したのです。また、私は義解で豪雨による調整値の容量不足の指摘しています。これが高裁判決でも住民側勝訴となったことです。
昨年12月26日の高裁判決で、業者に対し建設差し止めという逆転判決を出し、住民の勝利に大きく近づいています。

会場外にあふれた人たち
私の後に発言した、弁護士たちは、判決の意味するもの、今後の見通しなどをそれぞれ語りました。
登山に例えて、今8合目まで到達した。しかし、頂上を極めなければ当初の目的は達成できない。そのために、最高裁への署名を地裁や高裁に提出した以上の数を集めようと呼びかけました。
また、近藤弁護士は最近勝訴した原爆国賠訴訟の原告は一人で戦った。しかし、産廃裁判では多くの原告がいる、励まし協力できる仲間がいるのだから、最後までもうひと踏ん張りしようと激励しました。
集会には地元の河太さんが子や孫がコメ作りを続けると頑張っていることを報告。医療生協の西井さんが市内の多くの班が御津に産廃の視察に来て、産廃反対の声が広がっていることを報告しました。

西井さん(左)と河太さん(右)

お知らせ ご案内 &正一と岡山市政、地域活動 &正一と日本共産党 河田正一 : 14年05月11日

同志の死

5月11日、元御津町会議員のT氏のの告別式がありました。彼はH9年から岡山市と合併するまで、2期町議を務めました。合併後は合併特例協議会委員として特例区がなくなるまで委員を務めました。いつも議論の中心にいて、問題点を発言していました。もし彼がいなければ、協議会は議論もなく形骸化されていたでしょう。
彼と最初にあった頃は(彼が町議になりたてで、私が地域整備課長の頃)、私に対して「お前とは考えが違うから親しくしない。」と言い切っていました。しかし、議会での論争や、様々な出来事で意見が合うことが多くなりました。また、彼は犬好きで2匹も買っていましたが、我が家の愛犬に対しても「元気にしているか」と会うたびに気にかけてくれるようになりました。
小泉郵政解散で、自民党に愛想をつかし、立ち上がれ日本を応援しましたが「、どちらのだめだ。頼れるのはもう日本共産党しかない」と言うようになり、入党を進めると最後は「ここしかないからな。」と言って入党しました。その後、河田正一後援会の副会長をしてくれたり、国政選挙で日本共産党への支持を広げてくれました。
最近新聞を読む気力がなくなったといって、「赤旗」の日刊紙をやめて日曜版に変えました。私は目が薄くなったのかと思っていましたが、4月半ばに入院し、がんが全身に転移して手術は無理と宣告された最近になり聞きました。そういえば、年の初めから背中が痛いといっていましたが、がんによるものだったのです。
10日前に、入院を知り、しばらくして見舞いに行きましたが、その時はもう面会できませんでした。彼は熱狂的な”トラキチ”なので、知り合いからもらったタイガース監督時代の星野仙一のレリーフを奥さんに渡し、病室に飾ってもらいました。
市議会の中継もよく目てくれていて、アドバイスももらいました。また、他の議員が勉強をしていないとよく怒りの声を上げていました。
合併の約束が守られていないと、市に対し直接要求を何度もしていました。
ONIビジョンの加入と共同アンテナ組合の問題やコミュニテイバスの運行など地域の要望を私に伝えてくれました。
相談相手を失い落ち込んでいますが、くよくよばかりするわけにいきません。彼が目指していた、御津地域で生活が成り立つようにするにはどうすべきかを、しっかり考えて、彼の遺志を継いでこれからも頑張ります。
どうか安らかにお眠りください。

お知らせ ご案内 &正一と岡山市政、地域活動 &正一の活動日記 河田正一 : 14年05月5日

憲法集会

5月3日は憲法記念日です。三木記念ホールであった集会に行きました。安倍政権の危険な姿が明らかになる中、今年は例年以上に多くの人が集まりました。
東日本大震災避難者支援を続けている団体の代表によるシンポジューム「震災後、岡山で生きる」がありました。

シンポジューム発表者

建部に住む大塚愛さん(左)

御津に住んでいる逢沢直子さん
基調講演は「9条の会」事務局長の小森陽一東大教授の「安倍内閣はなぜ危険なのか」がありました。

お知らせ ご案内 &正一と岡山市政、地域活動 &正一と日本共産党 &正一の活動日記 河田正一 : 14年05月5日

農政改革で農家と懇談

5月2日、参議院議員の紙智子さんがTPPに対応する国際競争力をつけるとする安倍内閣の「農政改革」で日本の農業はどうなるのかを知るために岡山を訪れました。岡山市内でも大規模農業を行っている農家の人たちと懇談をしました。

森脇久紀県議と私も同行しました。

家族経営で64haの農地で米・麦・イチゴを栽培する黒田栄三郎(岡山市第1農業委員会長)さんは、生産調整を廃止し「米直接支払交付金」(10aあたり15,000円)を廃止し緩和措置として2019年まで半額(7,500円)にするなどの農政改革について、「農家がもっと大変になる。大規模農家穂で先に倒産する。」と語りました。また、東区で13haで水稲栽培をしている小橋文生さんは「大変なショック。補助金を半額にして、右肩下がりで展望が開けない中でやって行けという。大多数の農家には不可能だ。」といいます。同じく12haの水稲栽培をしている入江さんも「規模拡大は考えていない。働きに出ようかとも考えている。」と語っています。

紙智子参院議員と一緒に
その後県庁で、『農地中間管理機構』についての説明を担当課から受けました。

お知らせ ご案内 &市政ニュース &正一と岡山市政、地域活動 河田正一 : 14年04月22日

御津伊田遺跡

(主)御津佐伯船バイパス工事が始まろうとしています。しかしこの辺りは古くから集落が形成されていたので、遺跡が多くあります。道路計画地の発掘調査が行われています。

近くにつくられる「健康みつ21公園」も遺跡があるので、地盤を大きく下げることができないとのことです。しかし、ここにつくられる多目的グラウンドは硬式野球ができる広さを確保するようにお願いをしていますので、その方向で変更がなされる予定です。

小路が始まった「御津21公園」

お知らせ ご案内 &正一と岡山市政、地域活動 &正一の活動日記 河田正一 : 14年04月22日

操法大会

4月13日、操法大会がありました。朝早くから藤崎に出かけました。団員にとっては来賓の数が多すぎて開会式が長すぎると不評でした。

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