お知らせ ご案内 &正一と岡山市政、地域活動 &正一と日本共産党 河田正一 : 14年05月11日
同志の死
5月11日、元御津町会議員のT氏のの告別式がありました。彼はH9年から岡山市と合併するまで、2期町議を務めました。合併後は合併特例協議会委員として特例区がなくなるまで委員を務めました。いつも議論の中心にいて、問題点を発言していました。もし彼がいなければ、協議会は議論もなく形骸化されていたでしょう。
彼と最初にあった頃は(彼が町議になりたてで、私が地域整備課長の頃)、私に対して「お前とは考えが違うから親しくしない。」と言い切っていました。しかし、議会での論争や、様々な出来事で意見が合うことが多くなりました。また、彼は犬好きで2匹も買っていましたが、我が家の愛犬に対しても「元気にしているか」と会うたびに気にかけてくれるようになりました。
小泉郵政解散で、自民党に愛想をつかし、立ち上がれ日本を応援しましたが「、どちらのだめだ。頼れるのはもう日本共産党しかない」と言うようになり、入党を進めると最後は「ここしかないからな。」と言って入党しました。その後、河田正一後援会の副会長をしてくれたり、国政選挙で日本共産党への支持を広げてくれました。
最近新聞を読む気力がなくなったといって、「赤旗」の日刊紙をやめて日曜版に変えました。私は目が薄くなったのかと思っていましたが、4月半ばに入院し、がんが全身に転移して手術は無理と宣告された最近になり聞きました。そういえば、年の初めから背中が痛いといっていましたが、がんによるものだったのです。
10日前に、入院を知り、しばらくして見舞いに行きましたが、その時はもう面会できませんでした。彼は熱狂的な”トラキチ”なので、知り合いからもらったタイガース監督時代の星野仙一のレリーフを奥さんに渡し、病室に飾ってもらいました。
市議会の中継もよく目てくれていて、アドバイスももらいました。また、他の議員が勉強をしていないとよく怒りの声を上げていました。
合併の約束が守られていないと、市に対し直接要求を何度もしていました。
ONIビジョンの加入と共同アンテナ組合の問題やコミュニテイバスの運行など地域の要望を私に伝えてくれました。
相談相手を失い落ち込んでいますが、くよくよばかりするわけにいきません。彼が目指していた、御津地域で生活が成り立つようにするにはどうすべきかを、しっかり考えて、彼の遺志を継いでこれからも頑張ります。
どうか安らかにお眠りください。