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日本共産党

正一のブレークタイム 河田正一 : 10年11月2日

近江の旅④長浜

31日(日曜日)の午後は、長浜の中心街「黒壁」に行きました。何度か来ているのでおおよそのことは知っています。この日は、来年のNHKの大河ドラマ「お江」にちなんだキャンペーンがあちらこちらで行われていました。

お江コンテストの一幕

孫への土産に、ブタと犬の紙風船を買い、自分用には少し上等な箸を買いました。

来年の東近江は歴女でさぞかし賑わうだろうと思いながら、家路に着きました。

正一のブレークタイム 河田正一 : 10年11月2日

近江の旅③竹生島

日曜日朝、菅浦から舟をチャーターして竹生島に行きました。この島には、お寺と神社それに数件の土産物屋しかありません。私は集落があって人が大勢済んでいると思っていたのが、思い違いでした。

お寺には三重塔があり、火事で消失したのを寄進を募り、20年前に再建しました。そしてそれ以来はじめて、20周年記念として秘仏の観音様が開帳をされていました。朝が早く他の観光客が来る定期船の前だったので、案内人の説明を聞いて見ることが出来ました。

三重塔ご開帳

竹生島は琵琶湖が陥没して出来たときに、一部が隆起して出来た島で急な断崖が多い島です。琵琶湖の中でもっとも深いところがこのすぐ傍にあり水深は104mだそうです。そしてその深さはずっと変わっていないそうで、不思議な現象の一つです。

いま、この島は大変な危機に見舞われています。それは川鵜の被害です。7万羽もの川鵜がねぐらにしているので、木々が枯れて根ごと崩落することが多くあります。そのため、この対策に頭を痛めていることが地元新聞にも載っていました。人や外敵が住んでいなくて、周りには餌が豊富なこの島は川鵜にとっては格好の場所ということでしょう。

正一のブレークタイム 河田正一 : 10年11月2日

近江の旅②マロニエ並木

琵琶湖一周のドライブでマキノ町のマロニエ並木を見に行きました。昭和54年に町おこしでマロニエを植えてから30年で観光地になりました。」「冬のソナタ」のロケーションに似ているそうでかなりの人が訪れるそうです。傍には、町営だろうと思われる店や資料館・観光果樹園がありました。

その後、宿泊場所の長浜市西浅井町菅浦にある国民宿舎「つづらお荘」に行きました。菅浦はかつては陸の孤島といわれ、舟でなければ集落にいけないといわれていました。今でも集落の両端には見張りがいたであろう関所のようなものが残っています。

またこの地には、織田信長に滅ぼされた浅井家の息子(淀君、お江など3姉妹の弟)がかくまわれたとの言い伝えがあります。

宿は国民宿舎ですが、ゆったりとしていて新しくいい宿でした。さすがに、近江八幡の友人が自転車で9時間かけて下見をして見つけた宿でした。

正一のブレークタイム 河田正一 : 10年11月2日

近江の旅① 観音正寺

10月29日午後から、妻と滋賀に出かけました。毎年妻の大学時代の知人家族の同窓会が、今年は滋賀で行われるからです。今から30年ほど前に当初は、3家族で始まった集まりが、今年は11家族16人のにぎやかな同窓会になりました。今年の幹事は近江八幡市に住む2家族です。妻の同級生と夫、後輩の同窓夫婦が入念な下調べをして、設定をしてくれました。金曜の夜は2家族が友人の家に止めてもらいました。翌土曜日は大型台風が来ると心配で、何度も天気予報を確認しましたが、雨もほとんど降らないで予定のとおり、観光に出ました。みんなが集まるまでに、観音正寺にお参りに行きました。

観音正寺の地蔵堂

この寺がある山は、室町・戦国時代はバサラの佐々木氏の居城があったところです。途中に、駐車場を料金所がありこれより上は500円が必要というので、朝の腹ごなしに歩くことにしました。車で3分との表示でした。ところがかなりきつい勾配で上の駐車場まで30分かかりました。さらにそこが参道の入り口で800mを歩いてお寺に到達しました。西国33ヶ所のひとつで、近江の平野を見下ろすことが出来る良い景色です。曇りのため遠くの山々ははっきり見えませんでしたが。妻は何を思ったか、朱印帳を買って書いてもらいました。国道から上がってきたという夫婦に話を聞きましたが、とてもきつい階段で雨で滑ったのでとても大変だったそうで、林道を歩いてきたわれわれの選択はそれより良かったなと納得したしだいです。

みんなが集まったので早く帰るように電話があり、近江八幡名物「たねや」でみんなが揃いました。最中とバームクーヘンを買い込みました。

動画・音声 お手伝い : 10年11月1日

民主党の企業献金解禁は公約違反

2010年10月27日 穀田国対委員長が会見

お知らせ ご案内 &正一のブレークタイム 河田正一 : 10年10月28日

電話紛失

10月28日、朝早く赤旗日曜版の配達に出かけ家に帰って気がつくと携帯電話がありません。寒いのでベストを着て、ポケットに入れていったのですが、ポケットが浅くてこぼれ落ちたようです。大変なことになったと、今朝行ったところをずーと探しましたが見当たりません。午後からの予定をキャンセルして探し続けても見つかりません。auサービスセンターに問い合わせても、受信音を頼りに探すしかありませんとつれない返事です。テレビの刑事ものでは携帯の微弱な電波から犯人を捜し出しているのだからできるだろうと言っても、警察からの要請があればできるが、一般の人にはできませんとの答えです。夜になって、娘が帰ってきて頼み込んで一緒に再び今朝のルートを回り、降りたところで私の番号を鳴らして探し歩いたが見つかりませんでした。今日もおそらく何人かは電話されたでしょうが、そういう事情ですので電話が通じなくて申し訳ありません、お許しください。

明日、auショップで解約をし、同じ番号で他の携帯に乗り換えなければと思っています。なくした携帯は会社がロックをしてくれているので操作はできなくなっています。でも、多くの人の電話番号がわからなくなってしまい、今後どんな影響が出るのやら、大変気が重いです。

悪い事は重なるもので、昼ご飯を食べていると歯に詰めていた金具がとれてしまいました。今日は木曜日で午後は休診のため歯医者にも行くことができませんでした。

正一と日本共産党 河田正一 : 10年10月28日

国鉄闘争和解の報告

10月27日、国鉄を解体しJRに移行する時戦う組合員を不当解雇したことに対し、採用差別反対闘争は6月28日最高裁において争議団と鉄道運輸機構との間で和解が成立しました。1047名の採用差別と闘う人たちは23年間困難な中で戦い続けました。本当にごくろうさまでした。今回の和解は、すべての人を雇用するまでには至っていませんが、解決金の支払いが決まり大筋で解決しました。

全動労争議団西日本オルグ団責任者西山順氏が和解報告とお礼に見えられました。日本共産党岡山市議団幹事長として勝利を喜び握手を交わしました。

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