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Category Archive正一のブレークタイム



正一のブレークタイム 河田正一 : 10年11月2日

近江の旅③竹生島

日曜日朝、菅浦から舟をチャーターして竹生島に行きました。この島には、お寺と神社それに数件の土産物屋しかありません。私は集落があって人が大勢済んでいると思っていたのが、思い違いでした。

お寺には三重塔があり、火事で消失したのを寄進を募り、20年前に再建しました。そしてそれ以来はじめて、20周年記念として秘仏の観音様が開帳をされていました。朝が早く他の観光客が来る定期船の前だったので、案内人の説明を聞いて見ることが出来ました。

三重塔ご開帳

竹生島は琵琶湖が陥没して出来たときに、一部が隆起して出来た島で急な断崖が多い島です。琵琶湖の中でもっとも深いところがこのすぐ傍にあり水深は104mだそうです。そしてその深さはずっと変わっていないそうで、不思議な現象の一つです。

いま、この島は大変な危機に見舞われています。それは川鵜の被害です。7万羽もの川鵜がねぐらにしているので、木々が枯れて根ごと崩落することが多くあります。そのため、この対策に頭を痛めていることが地元新聞にも載っていました。人や外敵が住んでいなくて、周りには餌が豊富なこの島は川鵜にとっては格好の場所ということでしょう。

正一のブレークタイム 河田正一 : 10年11月2日

近江の旅②マロニエ並木

琵琶湖一周のドライブでマキノ町のマロニエ並木を見に行きました。昭和54年に町おこしでマロニエを植えてから30年で観光地になりました。」「冬のソナタ」のロケーションに似ているそうでかなりの人が訪れるそうです。傍には、町営だろうと思われる店や資料館・観光果樹園がありました。

その後、宿泊場所の長浜市西浅井町菅浦にある国民宿舎「つづらお荘」に行きました。菅浦はかつては陸の孤島といわれ、舟でなければ集落にいけないといわれていました。今でも集落の両端には見張りがいたであろう関所のようなものが残っています。

またこの地には、織田信長に滅ぼされた浅井家の息子(淀君、お江など3姉妹の弟)がかくまわれたとの言い伝えがあります。

宿は国民宿舎ですが、ゆったりとしていて新しくいい宿でした。さすがに、近江八幡の友人が自転車で9時間かけて下見をして見つけた宿でした。

正一のブレークタイム 河田正一 : 10年11月2日

近江の旅① 観音正寺

10月29日午後から、妻と滋賀に出かけました。毎年妻の大学時代の知人家族の同窓会が、今年は滋賀で行われるからです。今から30年ほど前に当初は、3家族で始まった集まりが、今年は11家族16人のにぎやかな同窓会になりました。今年の幹事は近江八幡市に住む2家族です。妻の同級生と夫、後輩の同窓夫婦が入念な下調べをして、設定をしてくれました。金曜の夜は2家族が友人の家に止めてもらいました。翌土曜日は大型台風が来ると心配で、何度も天気予報を確認しましたが、雨もほとんど降らないで予定のとおり、観光に出ました。みんなが集まるまでに、観音正寺にお参りに行きました。

観音正寺の地蔵堂

この寺がある山は、室町・戦国時代はバサラの佐々木氏の居城があったところです。途中に、駐車場を料金所がありこれより上は500円が必要というので、朝の腹ごなしに歩くことにしました。車で3分との表示でした。ところがかなりきつい勾配で上の駐車場まで30分かかりました。さらにそこが参道の入り口で800mを歩いてお寺に到達しました。西国33ヶ所のひとつで、近江の平野を見下ろすことが出来る良い景色です。曇りのため遠くの山々ははっきり見えませんでしたが。妻は何を思ったか、朱印帳を買って書いてもらいました。国道から上がってきたという夫婦に話を聞きましたが、とてもきつい階段で雨で滑ったのでとても大変だったそうで、林道を歩いてきたわれわれの選択はそれより良かったなと納得したしだいです。

みんなが集まったので早く帰るように電話があり、近江八幡名物「たねや」でみんなが揃いました。最中とバームクーヘンを買い込みました。

お知らせ ご案内 &正一のブレークタイム 河田正一 : 10年10月28日

電話紛失

10月28日、朝早く赤旗日曜版の配達に出かけ家に帰って気がつくと携帯電話がありません。寒いのでベストを着て、ポケットに入れていったのですが、ポケットが浅くてこぼれ落ちたようです。大変なことになったと、今朝行ったところをずーと探しましたが見当たりません。午後からの予定をキャンセルして探し続けても見つかりません。auサービスセンターに問い合わせても、受信音を頼りに探すしかありませんとつれない返事です。テレビの刑事ものでは携帯の微弱な電波から犯人を捜し出しているのだからできるだろうと言っても、警察からの要請があればできるが、一般の人にはできませんとの答えです。夜になって、娘が帰ってきて頼み込んで一緒に再び今朝のルートを回り、降りたところで私の番号を鳴らして探し歩いたが見つかりませんでした。今日もおそらく何人かは電話されたでしょうが、そういう事情ですので電話が通じなくて申し訳ありません、お許しください。

明日、auショップで解約をし、同じ番号で他の携帯に乗り換えなければと思っています。なくした携帯は会社がロックをしてくれているので操作はできなくなっています。でも、多くの人の電話番号がわからなくなってしまい、今後どんな影響が出るのやら、大変気が重いです。

悪い事は重なるもので、昼ご飯を食べていると歯に詰めていた金具がとれてしまいました。今日は木曜日で午後は休診のため歯医者にも行くことができませんでした。

お知らせ ご案内 &正一のブレークタイム 河田正一 : 10年10月19日

備前焼まつり

10月16日、備前市伊部で備前焼まつりがありました。私は参加できませんでしたが、妻が孫たちを連れて見に行きました。知り合いが伊勢崎淳さんとゆかりがあるとかで伊勢崎邸に行きました。庭に「竜馬伝」でブームと成っている「高杉晋作」の像がありました。伊勢崎満氏の作だそうです。顔を見てNHKの配役の人がよく似ていると思いました。(写真は晋作像の前で孫たちです)

正一のブレークタイム &正一の活動日記 河田正一 : 10年10月19日

秋祭り

10月17日は、このあたりの秋祭りです。今年初めて金川にある七曲神社の例祭にご招待があったので参加しました。この神社は氏子が多いだけに神事も拝殿で厳かに行われ、多くの方が玉ぐしをささげます。今年は、神主が若い女性の方が務められたので、いつもの物部宮司が忙しすぎてお願いしたのかなと思いました。獅子舞の奉納があった後、下の境内の広場で改めて獅子舞を舞いその時に挨拶をさせてもらいました。

昼から、地元の神社での神事に参加、獅子舞の奉納の後、直会(なおらい:神事の後の酒席)に参加し、近所の人と久し振りに酒を酌み交わしました。

午後の半日ゆっくり家と近所で過ごしました。

お知らせ ご案内 &正一のブレークタイム &正一の活動日記 河田正一 : 10年10月13日

信州の旅⑦ナンバ歩き

H氏は東京の江古田に住んでいます。職場は新宿神楽坂です。距離は9kmありますが、毎日雨の日も歩いて通勤しているそうです。片道1時間30分、往復3時間かかるそうです。普通の人よりかなり早く歩きます。歩くと周りがよく見え季節の移り変わりをしっかり感じることが出来るとのことです。往復18Kmを歩くことだけでも驚きですが、もっと驚いたのは歩き方です。リュックに着替え、雨具、パソコンなど必要なものを入れて持ち運びます。双眼鏡(遠眼鏡が正確かな)、懐中電灯なども入っている大きなものです。変わった歩き方は、右足と右肩を同時に出し、足と手が同じに出る歩き方です。子どもが入場行進のとき時々やって目を引き失笑かいます。なぜこの歩き方をするのかを問うと、昔から日本人はこうして旅をしていたというのです。旅には重い荷物を担ぐのが普通で、重いものを運ぶときはヨッコラショと掛け声をかけながら手と足が同時に出る。百姓は鍬を打つときそうするし、武士も不意打ちに対しすばやく方向転換をするために手足が同じがご都合がよい。その証拠として、抜き足さし足忍び足のときはそう動くだろうといわれました。右足右手を同時に動かす歩き方を「ナンバ歩き」というそうです。彼はこの歩き方についての本も出しているそうです。試してみました。おかしなぎこちない動きになりますが、彼の動きは変に感じません。コツはじゃんけんポンをしながら歩くとうまく歩けるそうです。皆さんもお試しください。

彼の研究は伊能忠敬の歩幅についてもしたそうで通説の69Cmより広かったとの説を言っていました。今回の短い旅は多くの収穫を得た気がします。

帰りは渋滞に巻き込まれて、600Kmを8時間余かけて帰り、かなり疲れました。お土産は赤いりんごを買いました。

 

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