正一と岡山市政、地域活動 &正一の活動日記 河田正一 : 09年12月16日
チボリ闘争終結の集い
昨年末で「倉敷チボリ」が閉園しました。岡山市制百年記念事業として岡山市の操車場跡地に計画する動きが持ち上がって、24年間反対運動に取り組んできた人たちの勝利の集いでした。「市民の公園」といいながら本質は高額な入場料を目的の「夜型レジャーランド」計画でした。
しかも、長野士郎県知事と伊原木商工会会頭らを中心とした密室での裏の策動がありました。国鉄清算事業団から操車場跡地を随意契約で購入するために第三セクター「センチュリーパークチボリ社」をつくり、岡山市に土地を購入させました。社長の松本市長に知らされないまま堀貞一郎氏と法外な金額の委託契約を結びました。これが岡山市議会が百条委員会を作り、県知事・商工会会頭を偽証などの容疑で告発することになり、県の政・財界のトップが市議会から告発されるという全国でも例のない事態になりました。そして、岡山市での建設はできなくなりましたが、それでも知事たちはどんなにしても作ろうと倉敷駅北クラボウ跡地に無理やり作りました。そして県民の税金数百億円を投入し、岡山県を借金王国にしてしまいました。当初計画で年間300万人の入場者があり黒字になるとしていましたが、ジリ貧で平成16年度からは百万人を大きく割ってしまいました。「チボリ」に反対する県民の会、チボリはいらない倉敷市民の会はレジャー施設は公共性がないとして反対を続け、税金投入に対し提訴して頑張りました。6つの裁判はいずれも敗訴しましたが、「公共性」がないことは判決でも謳われ実質勝利をしました。そしてついに、石井県知事も更なる税金投入はできないとして、チボリ存続を断念しました。弁護団長の山崎博幸弁護士は、この戦いを振り返り、政官財の総がかりの攻撃に「つくる会」が素手で立ち向かったようなものだった。秀吉の高松城水攻めを引き合いに、策士黒田官兵衛の役割をしたのが福武彦三氏であり、県民の声を反対に導きながら、裁判に訴え、県の青天井の支出を抑えて兵糧攻めにした結果、相手を自滅に追い込んだ、と評しました。チボリは終わりましたが、まだポストチボリは終わっていません。倉敷駅北の町内は、更地が目立ち灯が消えたようです。岡山市も北長瀬の広大な土地は財政に大きな負担を掛けるとともに、特別公園のままで、他目的に利用だできません。
「チボリ」の教訓は、県知事・幹部職員、オール与党議員が四半世紀にわたって犯した過ちを反省し、改めなければ活かされません。